植木の里・安行(あんぎょう)

緑化センター・樹里安  江戸時代初期の元和4年(1618)頃に関東郡代の伊奈半十郎忠治が治水や開墾に務め、また植木の栽培を奨励したことから安行(あんぎょう=川口市安行地区)の歴史は始まる。その忠治が構築した陣屋の跡は赤山城跡として今も残っている。
 その後承応年間(1652〜1654)に、吉田権之丞が切り花や植木を江戸で売り出し、安行の名を広めた。大発展をとげたのは、明暦3年の振り袖火事で江戸が丸焼けになったとき、カヤやワラの売り込みに合せて植木や花を出荷して大当たりをとって以来といわれる。

 明治初年頃から次第に生産農家も増え、明治30年頃には海外への輸出も行われるようになった。海外への輸出が盛んになると同時に、中国やヨーロッパから果樹やバラなどの新しい品種が輸入され、安行で殖やされて全国に出荷されていった。
 安行でこれほど植木の生産が栄えた理由は、土壌の関東ローム層が樹木の栽培に適していたこと、暖地物・寒地物も問わずに植栽できる気候・風土に恵まれていたこと、そしてなによりも、長年の間に培われた植栽の伝統技術がある。その代表が「安行流」と呼ばれる仕立て物。マツ、マキ、キャラ、ツゲなどの庭木用樹木として枝ぶりを美しく仕立てていく。また移植しても枯らさない移植の技術「根回し」と「根巻き」がある。


にぎわう緑化センター植木市  安行の植木と赤山の花の振興を図るため、昭和42年11月川口市立花木植物園(グリーンセンター)が、また昭和47年市営安行植物取引造園センターが、さらに平成8年4月川口緑化センターがオープンし、緑化産業振興の事業を展開している。=写真上=
 平成2年には大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」に、日本庭園「ゆるぎの庭」を出展、コンテストでは名誉賞はじめ数々の賞を受賞し安行の名を高めた。

 海外では昭和57年にオランダのアムステルダムで開かれた花のEXPO「フロリアード'82」(国際園芸博覧会)には、川口市として日本を代表して日本庭園を出展し、最高賞を受賞、技術と伝統で日本屈指の植木生産地、安行の名を世界に知らしめた。そして平成4年同じくオランダのハーグで開かれた「フロリアード’92」に政府出展の庭園とともに「樹の庭」をテーマに回遊式日本庭園を出展し、栄えある銀賞を受賞、「植木の安行」の名はさらに世界に広まった。

  (出典:川口緑化センター樹里安「植木の里安行から」から)



 Menu || イチリンソウ | 吟行句 | 翁の碑 | 朗読劇 | 記事 | 演出者 | 演出者2 | | リンク

Copyright The Hatogaya Com