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ボクの開戦記念日 開戦記念日は12月8日だ。あの忌まわしい太平洋戦争に日本が突入した日でもあり、そして私の糖尿病との戦いを始めた日でもある。 「いつ来院していただけるのでしょうか?」秋田市のA総合病院の看護婦さんから勤務先の会社に電話があったのは、2年前の1998年12月6日だった。 「院長は忙しい方なので、12月の新患(=新規患者の)受付は8日と21日です。どちらにしますか」 半ば強引な看護婦さんの言葉の裏には理由があった。 1か月ほど前に開かれた長野県人会での懇談会。酒の席で同席したのが院長のM医師だった。秋田の地酒を勧められた際、「私はこれで」で焼酎のお湯割りの入ったコップを差し出して断ったことから、二人の間で健康談義になった。 2年ほど前から、年2回の会社の健康診断で糖が出始めた。健康診断の結果、「要精密検査」が続いたあと、この年の秋にはついに「要治療」と、いわば「最後通告」を突きつけられていた。 そんな内輪話を打ち明けたら、M医師が「一度、うちへ来ませんか?」「ええ、伺います」。酒に酔いながら答えていたのだ。 それが1か月経ても来院しない。心配したM医師が看護婦に電話をかけるように指示したわけだ。 21日のスケジュールは未定。8日はたまたま空いていた。 <21日まで待っては、おそらく行かないだろう。行かなければ、「あいつはいい加減なやつだ」と思うかもしれない。今後、M医師とお付き合いをしてもらえないかも知れない。だったら…> 意を決して、受診日を8日とした。 結果次第では、入院するかも知れない。会社の同僚に説明して、1週間ほど入院するつもりで仕事の段取りなどを指示。単身暮らしの部屋を清掃してその日を迎えた。 受診当日。内科の待合室で待つ。名前を呼ばれた。問診表に提出して、体重や身長を計測。指示されるままに血液検査で血を採られた。待つこと1時間、再び名前を呼ばれて診察室に。あのM医師がいた。M医師は、パソコン画面に表示された検査の数値を見ながら、言った。 「薬を使うほどではありません。運動と食事制限で克服できます。やって見ますか」 <うそ!> 入院を覚悟してやってきたのに…。正直、拍子抜けした。 説明によれば、血糖値(基準値=正常値60〜110)は「213」で、糖尿病のボーダーラインにある。 「はい。薬を使わないで、やってみます。食事制限してがんばります」 最悪を予期していただけに、即座に返事が出た。M医師の指示は、1日1600キロカロリー。ご飯で言えば、一日軽く3杯止まりという、きつい食事制限だった。 「酒も止めてください。アルコールはカロリーが高いだけで栄養はありません」 「ちょっと待って下さい。酒は無理です。仕事上、お付き合いで飲まなきゃならないことがあります」 「それでは、自分から誘うのだけはやめて下さい」 「わかりました」 糖尿病との戦いが、この日から始まった。 (2000.11.9記) Front | Next ●「自分との戦い」 ●「健康指数」 |