上高地再訪

白樺、黄葉は間もなく

 JFN(全国FM放送協議会)関東ブロック会議が9月30日、10月1日の両日、長野県松本市の日本アルプス・上高地で開かれた。黄葉が始まった中で散策を楽しんだ。汗をうっすらとかきながらもさわやかな初秋の一日となった。

夜明け。ホテルから東の空を望む  松本市は、かつての勤務地。上高地を訪れたのは約10年ぶりだ。上高地は、北アルプス(飛騨山脈)の南部に位置し、3,000m級の穂高連峰や、霞沢岳(標高2,646m)、活火山の焼岳(同2,455m)などの高山に囲まれ、梓川流域に開けた盆地状の地形。アルプスに数多くある渓谷の中では珍しく細長く広い平地になっている。標高は約1,500mだ。国立公園の中でも規制の最も厳しい特別保護地区に指定され、文化財保護法では特別名勝・特別天然記念物に指定されている。土、日曜を中心に全面的な交通規制が実施されており、ウィークデーでも、マイカーでの乗り切りは禁止されている。

 初日の夕方、バスで上高地入りした。約30キロ離れた松本市では曇っていた天気が、上高地では幸いも雲の間から北アルプスの主峰が望めた。梓川沿いの、天然温泉を引き入れているホテルに宿泊した。3階の角部屋とあって、東の窓からは、梓川をはさみ、その奥に標高2,450mの六百山や霞沢岳の峰が連なり、西の窓からは、どっしりと構えて山頂から噴煙を上げる焼岳が望めた。

大正池。奥が活火山の焼岳

 翌早朝、ホテルから、約2キロ下流にある大正池に向かった。日の出を、大正池で迎えたかったが、リュックに入れたはずの懐中電灯がなく、やや明るくなるのを待って、午前5時過ぎ、熊よけの鈴をつけて出発。田代橋から遊歩道の自然研究路・梓川コースに入る。伏流水が湧出する湿原やカラマツやシナノキなどやや黄葉が始まった林を抜けて、大正池に。池は大正4年に焼岳の大噴火で生じた火災泥流が梓川をせき止めたためにできた。池の水面から突き出た枯れた古木が「せき止め湖」の痛々しさを残している。池近くのホテルに泊まった人たちなのだろう。50人ほどが、南側の湖岸に突き出た砂州で、カメラの放列を作っていた。

梓川のカモ  大正池からの帰り、梓川の岸辺に降りた。深みはエメラルド・グリーンに染まり、5羽のカモが気持ちよさそうに泳いでいた。警戒心の強いカモだが、ここのカモは人影を見ても飛び立たない。それほど、人に慣れているのだろう。

 朝食後、紀行文「日本アルプスの登山と探検」の著し、日本アルプスを世界に紹介した英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフが埋め込まれた石碑前から梓川にかかる、上高地のシンボル・河童橋を渡り、小梨平から梓川左岸を上流へと登る。白樺の白が目にしみる。やや湿り気を帯びた空気がよい。梓川のせせらぎの音が心地よい。約2キロ先の神域、穂高神社の奥宮まで歩く。奥に荘厳なムードが漂う明神池がある。辺り一帯は国有林という中で、数少ない私有地の一つ。静かな水面は鏡のようで、周囲の原生林の緑や紅葉を映し出している。澄み切った水中で、イワナが悠々と泳いでいた。帰りは梓川右岸を歩く。湿原の上に木道が渡されている。河童橋近くのホテルで昼食。

明神池のイワナ  「人はみな、なぜ、上高地を目指すのだろう」。ホテル2階の窓から見える河童橋。橋のあ元で記念撮影する若いアベックや家族連れ。橋を行き来する重いリュックを背負ったハイカーや軽装の散策者の、あまりの賑わいを見ていて、ふと考えさせられてしまった。

 うれしかったのは、10年前とほとんど自然が変わっていなかったこと。最も厳しい規制がなされ、開発も一切禁止とあって、当然といえば当然だが、それも、訪れるハイカーや観光客の理解と協力があってこそのことだ。開山日である4月27日から閉山となる11月上旬までの約半年間に訪れる客は毎年200万人ほど。これからも守っていきたい貴重な自然の財産だ。
 昼食後、バスセンターからバスの乗り、上高地を離れた。生息するサルの群れが、車道に出て見送ってくれた。


 【上高地の地図

(2005.10.2記)


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