まさかの入院


 今思えば、たった2週間の点滴治療だけによる入院だった、と総括できるが、本人にとれば「棺桶に片足を突っ込んだ病」である。懸命な治療をしていただいた医師や看護師、年末年始の超多忙期に付き添い励ましてくれた職場の上司や同僚ら、そして、未曾有の豪雪で上越新幹線も乱れるなか、埼玉の自宅と病院の間を行き来して看病してくれた妻のおかげで助かった、と思っている。多くの関係者にお礼を申し上げたい。自己管理の大切さ、健康のありがたさを思い知らされた2週間でもあった。

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写真は、入院先の新潟市民病院の病室からの光景(1月6日朝)  午前9時からの朝礼後の職場で、官庁に提出する報告書をパソコンを使って作成中、突然、悪寒と全身の震えに襲われた。キーボードを打つ指が震え文字も打てず、電話の受話器も持てないほど。五百メートルほど離れた新潟逓信病院へタクシーで収容されたのが、コトの始まりだった。

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 年末から年始にかけての病院暮らし。FM新潟では、元旦の午前2時から5時まで3時間の新春特別番組「犬もよろこぶ2006」がオンエアされた。パーソナリティーは千葉暢彦さんと新人の渡辺奈菜さんだ。その番組に「新潟市、どらちゃん」のラジオネームで投稿。それが採用された。

 「新潟の病院のベッドで聞いています。単身赴任の身で、暮れに病気で緊急入院。正月に埼玉の家族の元に帰れなくなりました。妻は看病のため新潟に。千葉さん、奈菜さんの明るく、元気な声に勇気づけられます。ラジオの力に感激です。皆のために頑張ってください」

 私に変わって、一人、自宅マンションで寝ている妻への感謝をラジオを通じて届けたかった。そんな動機で投稿したものだ。午前5時近く、それがベッドの携帯ラジオを通じて流れてきた時、泣けて泣けて仕方なかった。

 ラジオは、マスコミの一種でもあるが、一人一人のリスナーにはパーソナルなものである。時には病院のベッドにも届くものである。「ラジオの力」を実感した。

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 幸いも抗生剤の点滴治療が功を奏し、手術もせずに早期に退院できた。20年前の胆のう摘出に伴う胆道の炎症が原因と見られるが、確定はしていない。「炎症も収まった。後は自力で回復できます」(担当医)との退院。3ヶ月後の4月に改めて確認検査を行う予定だ。当面は、養生に努めるほかない。

 闘病経過
 12月26日、執務中の午前9時30分ごろ、急な悪寒、高熱と激しい“震え”発作に襲われ、会社で呼んだタクシーで直ちに最寄の新潟逓信病院に収容される。血液検査やCT検査、腹部超音波検査の結果、「肝膿瘍」と診断され、緊急入院する。「肝膿瘍」は肝臓に膿がたまる細菌感染症の一種。その膿が肝臓内の血管を通じて全身に回り高熱・発汗を起こしていたのだ。直ちに、細菌感染症に有効とされる抗生剤の点滴投与が行われ、一方で、超音波で体外に膿を排出させる「ドレナージ(誘導管)治療」の道を探ったが、患部が肝臓の奥とあって、体外から針状のドレナージを刺すには極めて難しいという。

 翌朝、ベッドで同様の“発作”に襲われる。病院医師団の協議により、ドレナージ治療の症例が多い新潟市民病院への転院が決まり、救急車で同病院救命救急センターに移送された。同センターでは緊急手術を計画したが、同様にドレナージ治療は困難と判断。当面、抗生剤投与による病巣治療を行い、改善されない場合には、最後の手段として開腹手術によるドレナージ治療を実施することになった。

 転院した翌日の28日にも、早朝と7時間後の昼直前に“発作”を連続して発生。このため、1日2回(1回100CC)の抗生剤投与を、その夜から「最強なもの」(担当医)に変えた。以降、その抗生剤治療が有効に作用し“発作”をみることなく推移。血液検査による諸数値も大幅に改善され、正常値に近い数値を示すようになり、病状も急速に軽快に向かった。

 1月2日には初めて入浴が許可される。担当医師から抗生剤治療を2日間ほど停止し経過が良ければ、1月8日にも退院可能との方針が示された。1月8日に「治癒に近い状態」(退院証明書)で退院、その日から埼玉の自宅で療養に入る。16日に職場復帰した。

(2008.1.21記)


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