俵萠子さん、元気をありがとう

 ずしりと心に沁み込む講演で、<元気>をいただいた。6月3日午後、新潟市内で開かれた作家、俵萠子さんの講演だ。

 長年にわたり福祉活動を展開する財団法人「真柄福祉財団」の呼びかけによる「ふれ愛トーク」。評論家でエッセイストでもある俵さんは、自ら、がん闘病の経験を持つ。数多くの作家活動や講演のかたわら、がん患者、とりわけ乳がんを患った女性たちの自立支援運動に取り組み、「1・2の3で温泉に入る会」を立ち上げ、術後の傷跡がもとで温泉にも入れない仲間たちを誘い、自立女性・社会参加の輪を広げてきた。

 この日の主な内容は、「温泉に入る会」を結成したきっかけから現在に至るまでの自らの経験を語った。

 「先生、温泉に入れるんですか?」と、俵萠子美術館(群馬・富士見村)を訪れた四十三歳の元患者が、傍の目をはばかるように耳元でささやいた。

 胸の大きな傷のために好きな温泉に十八年も入っていないという悩みを聞いた俵さんは、「元患者同士、皆で入ればこわくない」と「温泉に入る会」を立ち上げた。仲間たちで初めて温泉に飛び込んだ。翌朝、元患者たちから一様に「ありがとう」と感謝された。会を発足させてよかったと実感した。

 でも、気になったことが一つあった。というのは、呼びかけ人の自分自身が温泉に入らなかったことだという。

 よくテレビに登場する“顔を知られた著名人”ということもあり、多くの人たちが入る温泉は元々好きでなかった。「それにしても・・・」と自問自答する。

 そして「周囲が差別しているのでない。胸にある傷について自ら醜いと思っているからこそ(温泉に)入れないんだ」。俵さんは<自分の内なるバリア>に気づいた。

 温泉に入ることを決断。仲間に助けられながら初めて温泉に浸かった。

 「あなた、傷口きれいじゃないの」。仲間たちのあっけらかんとした声に助けられた。「皆のために会を立ち上げたが、実は皆から自分は助けられていたんだ」と気づいたという。

 再発・転移の不安を感じながら、日々暮らしている元患者たち。いつまで残されているかわからない命であればこそ、一日一日充実した生活を送っている元患者たち。

 元患者や、幸いにして今、健康な人たちに、そして闘病生活中の人たちに、俵さんはアドバイスする。「病気はみな、マイナスじゃないのよ」と。

 「私には時間がない。なんぼあっても足りない」という俵さん。五十歳を過ぎて、陶芸を学んで陶芸教室を主宰、車の運転免許証を取得して自らマイカーを運転する。そして七十歳になってからパソコンを覚え、全国の仲間にメールを一斉発信する。

 「あなたにとって今日は一番若い日なのよ」といつも諭している俵さん。時々声を詰まらせながら自らの経験を披露する姿勢に、思わず目頭が熱くなった。

 筆者は、この半年間に二度も入院加療を受けてしまった。二十年ほど前の手術に伴う体質の機能低下。加齢によって常に再発の不安を抱える身には、元患者の不安は他人ごととは思えなかった。前向きに生きる俵さんに元気づけられた。感動をありがとう。

(2006.6.3記)

 俵萠子さんは2008年(平成20年)11月27日、肺炎のため死去しました。
 新潟での講演会終了後、西区の小料理屋で新潟の美味しい肴と地酒を嗜みながら「今度は、長岡の花火大会に来たいわ」と言っていた女史でしたが、かなうことなく逝ってしまいました。今頃は、上の方から花火を見下ろして楽しんでいるかもしれません。77歳でした。
 生前のご厚誼に感謝するともにご冥福をお祈りいたします。活動の拠点ともなっていた赤城山中の俵萠子美術館も同年12月1日に閉館となりました。合掌。


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