セピア色の新潟

 明治期に作られた鉄道の数え歌、あの「鉄道唱歌」に、新潟を歌った部分があることを初めて知った。

 新潟市の朱鷺メッセで先週末に開かれた日本産業衛生学会の全国大会に、かつての職場でお世話になった社員健康相談室の看護師さんが東京から参加。約3年ぶりに旧交を温めたが、その話題づくりに、わが住む街・新潟の土地や歴史を改めて調べていてわかったのだ。ウィキメディア財団が展開するインターネットのフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」に、「鉄道唱歌」の歌詞が紹介されていた。

 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」。広く知られる「鉄道唱歌」は、全5集334番からなる大作。歌詞はすべて、「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞で知られる詩人であり古文学者の大和田建樹(おおわだ・たけき)の作だ。「汽笛一声新橋を…」は第1集東海道編の第1番。その第4集北陸篇に、実は、「新潟」が5番に割かれて歌われていた。

 明治33(1900)年10月に発刊された第4集北陸編は、高崎線・信越本線(上野駅→高崎駅→直江津駅→沼垂(ぬったり)駅)、北陸本線などが収録されている。全72番のうち5番が「新潟」についてのもの。「ウィキペディア」では、「日本海側の都市で、日米修好通商条約で開港指定五港に認定され、大きく栄えていたことなどが関係していると見られる」としている。

 歌が作詞された当時は新潟駅は存在せず、信越本線のターミナル駅は、信濃川を挟んで対岸にあった沼垂駅(今は、貨物駅)だった。

 歌詞を紹介する。
 
「42番」 もみじは新津秋葉山 桜は亀田通心寺 わするな手荷物傘鞄 はやここなるぞ沼垂は
「43番」 おるればわたる信濃川 かかれる橋は万代の 名も君が代と ときわにて 長さは四百数十間
「44番」 川のかなたは新潟市 舟ゆく水の便(たより)よく わたせる橋をかぞうれば およそ二百もありとかや
「45番」 春は白山公園地 一つににおう梅桜 夏は涼しき日和山(ひよりやま) 鯛つる舟も目の前に
「46番」 汽船の煙海を染め 商家の軒は日をおおう げにも五港の一つとて 戸数万余の大都会

 歌詞を口ずさみ、じっくり味わってみるといい。セピア色の新潟の街が浮かんでくるはずだ。81万人を抱える今の都会・新潟につながる「ふるさと・新潟」の良さが理解できるはずだ。

 折から、新潟市や新潟県は、日米修好通商条約などの「安政の5か国条約」による「開港5港」の一つ、横浜市とタイアップして、「近代日本の150年の節目に『開港の地』でサミットを」を合い言葉に、条約締結150年にあたる2008年の「主要国首脳会議(サミット)」を誘致する運動を始めた。  

(2006.9.27記)


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